60年代研究所とは

25年以上前に日本製のブリキのおもちゃを見つけたことから始まり現在までおもちゃを始めとした昭和レトロを収集、修理しながら終わりのない旅を続けています。

きっかけ

ここではなぜおもちゃとであったか?どうやって集めたかなどを

自分の思い出のように書かせていただきます。

思えば中学生ぐらいのころから売れ残りのおもちゃを買い漁っていた記憶があります。

当時はワゴンに超合金が山のように積まれ300円程度で売られていた、この時は懐かしいと

言っても数年も前くらいのモノなのでビンテージというより買っては爆竹で破壊する行為を行っていた、勿体ない、苦笑。。。20代半ばぐらいに東京に旅行に行くことになり当時の情報誌に東京マップがあり目についたのが青山のビリケン紹介と中野のまんだらけ、下北のなつかし屋さんだった、行ってみると当時目にしたことの無いおもちゃやソフビのあの独特なにおいに「ハッと」なり当時は足の裏に記名があるものは500円で売られている物が多かった改めて古いおもちゃを見たけどソフビには心は揺れずブリキのおもちゃに心を奪われた。

ブリキ世代ではないのもあり何を参考にしたら良いかもわからずネットもない時代、、、住んでいた町の靴屋さんの社長さんがアメリカに旅行に行って来たとそのお土産を店頭に飾っていると行くとそこにブリキのおもちゃの写真集がありそれを売ってもらったのがさわりになった。世の中はトレンデイドラマが流行っていた時代、自分もアンテイークのテーブル欲しさに自家用車を売却してその金でアンテイークショップでテーブルを買いに行ったその際にマルクストイの雪男をショップのオーナーに動くのを見せてもらい興奮したのを思い出しその店にブリキを買いに行く。

ブリキは当時サラリーマン始めたばかりの自分には高額で手が届かなかった、ショップのオーナーがかわいそうと思ったのかジャンクのブリキ2点を出してきてこの玩具が初めてのブリキ ボロボロのワニのおもちゃと飛行機、

その後スーパーに買い物に行く途中にナショナル坊やが外にある電気屋さんの

窓側にバンダイの豚のコックさんのブリキ玩具がおいてあり「写真集のど真ん中じゃない!」手持ちのお金すべてで売ってもらった。長い年月の中集めたおもちゃはほかの人にいった物もあるけどブリキのブタは今でも手元にのこっている。

全国にはコレクターはたくさん当時もいたのかもしれないが情報もないので自分には案テークショップで教えてもらった弁護士さんのコレクションを見せてもらい手にして興奮した事をおぼえている。この弁護士さんがお土産にとくれたアメリカのトイオークションの専門月刊誌、ビンテイージ玩具の販売しているオークションハウスや店舗の情報ばかりにが掲載されていいたのだこれによりブリキのおもちゃはドイツから来たものを日本メーカーが参考に作って販売した物だということが分かった、ブリキのおもちゃはジャンルで分けると明治大正時代の戦前物、憧れのロボット、自動車などの乗り物、漫画キャラクターのキャラクターブリキ、動物などが日常を表現するバラエテイ物などに分かれる。当時自分で使えるお金が月に4~5万が限界だった自分はバラエテイ物を集めることになる、アメリカ、カナダは当時日本の専門店より安く1体1~2万円ぐらいで箱付きで動くものが多かったこともある。

ネット送金がない時代辞書で単語を訳し手紙を書きファックスで注文、その後銀行に行って

ドルに換金して国際郵便でお金を直に送金していた今思えばアホなことをしていると

だまされたことは100回近く送金して1回だけかな?その繰り返しで自分のところにも

ブリキのおもちゃが100体近く集まり初めにかった写真集のブリキ玩具のデイスプレー

写真のようになりハンデイビデオで1体ごとに動画を録画してビデオテープを作った近所の子供集めて動かして見せるイベントをやったり喜ばれた、そのブリキを購入する資金を作るのに当時企業もの、ペコちゃんなどのメーカーキャラクター人形が売れることを知り休みには商店1件づつ無いかまわりお願いをして集めコレクションしている人に売却してその資金でブリキのおもちゃを購入していた、

60年代研究所 古いおもちゃ買います!

札幌で古いおもちゃを集めています60年代研究所です。ご自宅、ご実家、お店をやられていた方など1980年代以前の当時遊ばれていたおもちゃがありましたら是非お売りください。提携の施設などに昭和のインテリとしての展示やデイスプレーなどでおもちゃ達は第二の人生を送っています。あなたの当時の宝物に新たな輝く人生を上げてください。#昭レトロ 連絡先ajito19741202@gmail.com asano

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